L.Aでの新生活からのお便り。L.Aプチ情報、子育て、お料理、インテリアなどなど。


by tenshinomachi
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

おつかれさまでした

今日は遠く離れてしまった家族のお話を少し。
遠くなったのは距離ではなく間柄。

私は小さい頃、昔ながらの大型家族に育ちました。
祖父母を中心に親戚一同が頻繁につどい、夏休み合同温泉旅行、冬休み歌合戦等、楽しい家族との集まりが目白押し。私が一番下の子供で、年長のお兄ちゃんお姉ちゃん達の後を追いかけて育っていったものです。

祖父母が他界し、親戚の集まりは自然に減っていき、その後全然会わなくなり久しくなります。みんなそれぞれの生活に忙しく、親戚という家族から離れてしまった。

1年前に叔父の一人がなくなり、そこで親戚一同久しぶりに会ったときに、無くなった叔父の息子が(私にとっては従兄弟)昔八ミリで叔父が取り続けた家族旅行の記録をDVDに焼きみんなに配ってくれました。私は葬儀に参加できず、後から姉が送ってくれたのを一人でゆっくり見た訳です。

きっと、わかる方も多いはず。
あの、パチパチと画像がとぎれるような映像。白黒のような色合い。八ミリなので音は入っていませんが、みんなの笑いが聞こえる。足音が聞こえる。

あぁ・・・・失くしてしまったものがこんなところに。

何年ぶりだろう。涙が止め処も無く落ちるのに、こんなに満たされた気持ちになったのは。

昔の思い出にはいろいろなものが詰まっていますよね。
思い出したくもない辛いことや悲しい事も。でも、きっとこうやって、楽しい思い出だけが残っていくのかも。

うん、そうだったら、素敵。

先週、今度は母の姉、私にとっての叔母の一人が80歳で亡くなりました。
もう20年も会ってない叔母。
この叔母、私の小さい頃の大好きな大好きなヒト。いっつも笑顔で、華やかで面白くって。
叔父との間には子供がいず、二人いっつもラブラブ。この叔母がいっつも「恋はいいわよ~」って教えてくれた。

そんなある日、私がまだ小学生の時のある朝。
東京の祖母が急に鎌倉の我が家に来ました。かなり早かったので、早朝に東京を出発したはず。

祖母がいうには、↑の叔母の主人の叔父が浮気をしていたそうで、叔母が家を飛び出したのでこちらに来てないか?ということ。

どうやら、その頃物書きで食べていた叔父が仕事用に借りていた部屋に叔母が訪れた際に相手の女性がいたそうで。。すでに数年の間柄だったらしい。

ショックで家を飛び出したものの行く先がある訳もなく、しょんぼりと家に戻った時は翌日の朝。祖母(彼女にとっては母)がなんとか気持ちを落ち着かせ、相手の叔父に話をしたそう。

何を話したかはわからないけれども、その1週間後に叔父は別邸を売り払い、相手の女性とも別れ叔母の待つ家に戻った。大好きな大好きな主人に浮気を数年間されて、その主人が自分のところに戻ってきた。その頃、叔母はたったの50歳。

まだ乙女の心をもつ女性のはず。

その後叔父もなんとか道をはずれず、自然な夫婦に戻ったかのように見えたが数年後叔母は精神を病んでしまう。その自然な成り行きで、叔母は60をちょこっとすぎた時に「アルツハイマー病」にかかってしまう。そう、もう何も自分で出来なくなっていた。

私が最後に、この大好きな叔母に会ったのがこの頃。
これまた大好きな祖父母を亡くした際の葬儀の時。時に毛皮なぞをお洒落に羽織っていっつも疲れきった主婦陣を華やかな笑いにもっていってくれていた叔母は、小さかった。目もうつろで、本当に小さくなってしまっていた。

その後20年叔母には会っていない。

そして昨日叔母の送る会が親戚だけで行われ、また久しぶりに親戚が集まった、と母との電話にて。
母が話す、20年来の叔母と叔父の生活。

60を超えて、彼女の病はどんどん進み、周囲は民間サービスを進めたようです。それだけ病の進行が早かった。でも叔父はそのすべての依頼を断り、すべて自分で看病をしました。

毎日一緒に4階のマンションから手をとり1階まで下がり、隣町までバスに乗りスーパーに買出し。
その頃はすでに夢遊病も冒されていた叔母を椅子に座らせ、毎3食を手作り(叔父はそれまで一度もキッチンに立ったことがありません)、彼女に食べさせ、お風呂も毎日ちゃんと一緒に入り、トイレの世話すべて叔父一人で行ったそうです。

心配した周囲の人たちがいろいろなサービスを送り込んだようですが、叔父の、そのあまりの心のこもった介護にサービスする人は「間に入れなかった」との事。親戚が入れ替わり覗き、民間サービスをとことん薦めたようですが、叔父は首を振るばかり。

そんな叔父が昨日の「送る会」で最後のときをこう語ったそうです。
夢遊病にも冒されている妻が夜中にどこかに行かないように、いつも手をしっかり握って寝ていたのですが、その夜フと彼女から手を離したのを感じたので声をかけると「いつもありがとう」と。彼女はもう普通に話せる状態でなかったので、私は「夢か」と思いました。手を握り替えそうとしたけれど、握り返してこない。

かすかな笑顔で、なんとも安らかな顔で息をひきとっていたとの事。

叔父がみんなに顔向けできないと、その時にはじめて崩れたそうです。
看病して初めて「私はこの人をこんなにも愛している」と感じ、なんて事をしてしまったのだ・・と気がついたそうです。

叔父の20年の壮絶な看病は、そんな罪の思いからだったのですね。

夫婦には、その数だけいろいろな顔がある。

私は無宗教ですが、こんな時にフと思う。
神様がいるのならば、きっと今叔父に声をかけているだろうな、って。

おつかれさま。
もう大丈夫、って。

遠く離れてしまった親戚を想い、自分の人生を振り返る。

叔母さん、おつかれさま。ゆーっくり休むんだよ。美味しいお酒飲んで叔父さんを見守っていてあげてね。そして、あんまり大声で笑っちゃいけないよ!周りの人は静かに寝ているかもしれないんだから、さ☆

大好きだった叔母さん、安らかにお休みください。

さようなら☆
by tenshinomachi | 2010-04-28 14:10 | 家族